お早うございます。早起きディレクターです。
わたしは街によくいるギターおじさんですが、ついにあこがれの名機「Martin D-76」というすごいギターを手に入れてしまいました。
最初弾いたとき「ええ!?こんな音あり?」と、その音色にははかなりの衝撃でした。
本数限定で今では100万くらいするかもしれないというあの名器がどのようにして我が家にやってきたのか?
その実力はいかに?
そのあたりのおはなしの前にまずわたしのギター遍歴をお聞きください。
ギター小僧のはじまりは「ヤマハFG130」だった
さて、僕のようなかつてギター小僧と呼ばれたおじさんたちの中には、5本以上のギターを持っていることはそんなに珍しくありません。
家族から「腕は二本なのになんでそんなにギターがいるの?あんたはタコか!?」といくら罵られようとも、おじさんたちは気になるギターを見つければいつのまにか手に入れてしまいます。
そして家にはギターを置く場所がさらに増え、おじさんの居場所はしだいに狭くなります。
かくいう我が家にも今では全部で11本ほどのギターが部屋に鎮座しています。
はじまりは家に転がっていた古いガットギターでした。
小学校5年生ころからなんとなく教則本を見ながら「荒城の月」や「影を慕いて(!)」なんかを弾いていたんですが、中学生になるとだんだん、その「ボロ〜ん」とわびしい音を立てるクラシックギターがどうにもダサく思われ、なんとかお小遣いをためてヤマハのFG130というピッカピカのフォークギター(13000円)を買いました。
そらもう嬉しかったです。
とても大切にしましたし、練習もよくしました。
机にむかって勉強するときも、いつもギターを小脇に抱え(親に知られないように音を出さずに)ビートルズや吉田拓郎、かぐや姫などの楽曲を練習していました。
おかげさまでギターの腕はあがりましたが、高校受験ではえらい目に会いました😢
短い運命だった憧れの「エピフォン・カジノ」
そして、なんとかかんとか高校生に潜り込んでからもおじさんのギター狂いの青春は続きます。
当時はお決まりのようにロックにはまってしまい、ビートルズのジョンレノンに憧れて「エピフォン」というメーカーの茶色いセミアコのエレキギター(89000円くらい)を手に入れました。
新聞配達を3ヶ月ほどしてしてようやく手に入れた大金を手に、天王寺「アポロビル」にある楽器屋に向かう時はかなりドキドキしたものです。
というのも、アポロビルというのは当時は「カツアゲ」で有名な場所でしたから、中学生はもちろん高校生でも隙を見せれば不良たちの餌食になる。
それこもれも今では懐かしい思い出です。
しかし、そんな大事なエレキギターも、買って3ヶ月もたたない頃に、激昂した父親にボロボロによって破壊されました。
原因は言ってみれば父と息子のよくある確執ですが、当時の昭和とて、息子の買ったばかりのギターを叩き割る父親はまれでしょう。
母の命令で避難した屋外の公園で、自分のギターが壊れる音を遠くに聞きながら「なんかドラマみたいやなあ・・・」と妙に冷めていたことを今でもよく覚えています。
そんな父親も多少はやりすぎたと思ったのか、それともバツが悪かったのか、ある日僕が学校から帰ってみると、部屋にはまっさらな茶色いエレキギターが置いてありました。
値段も8万そこそこで形もエピフォンと似たようなセミアコースティックギターです。
箱には「アリアプロⅡ」と書いてありました。
そう、それは僕の欲しかった「エピフォン」ではありませんでした。
でも、父にそこまで要求するのも”あれ”なんで、その後はその茶色い「アリアプロⅡ」を愛用することにし、結局それがその後のギター人生の大切な相棒となりました。
就職、結婚でギターからは離れるが、しかしギター熱は高まる
そんなギター小僧も、音楽に明け暮れた大学生活を終えて、テレビの制作プロダクションに就職してからは、さすがにギターを弾く機会はめっきり減ってしまいました。
テレビのアシスタント時代は忙しくてギターを弾く時間も気力もないこともありましたが、出世してディレクターになると今度は仕事でもプライベートでも始終仕事のことばかり考えるようになり、とてもギターに頭が回らなかったからです。
それでも、学生時代に比べて多少は金銭的には余裕がありますから、ふと余裕ができたときなど、やっぱりギターのことが気になっていました。
その後20代の後半で結婚。
そのころ住んでいた上新庄のすぐご近所のギターショップに腕利きのギター(マンドリン)職人さんがいて、そこのご主人に「アメリカから程度の良いギブソンのES33のオールドギターが手に入るよ」と言われたのが僕のギター熱が再燃するはじまりでした。
トントン拍子で話はまとまり、数日後にはES335を手に入れ(初の20万円突破ギター)、続いて質の良いフェンダージャパンのテレキャスターを紹介されてこれまた購入。
その職人さんには今でも感謝しています。
だって、ほんとうに素晴らしいギターでしたから。
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憧れだったギブソンES335 |
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一度手放したが再び帰ってきたテレキャスター |
さらに、30代なかばでディレクター仕事に油が乗り出した頃から、すこしだけ仕事に余裕が出きたのかギター熱はさらに加速し、会社帰りに立ち寄った楽器屋で「オベーション」の「1992年版コレクターズシリーズ」というかなり高価なギターを衝動買い。
「旅の携帯用に」という理由で「ギグパッカー」という小さなトラベルギターも衝動買い。
ついでに姉の家に眠っていたヤマハのFG160も持ち帰り、50歳を超えてからは、当時の担当番組のテーマ曲だった「はっぴいえんど」の「風をあつめて」がどうしてもマーチンで弾きたくて憧れのD28を購入。
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「オベーション」と「マーチンD28」 |
ジャズギターを習いだしてからは「Lowden(ローデン)の「S-25J」というとんでもなく高価なギターまで手に入れてしまいました。
ジャズを始めたのがきっかけのローデンの「S-25J」 |
で、「Martin D-76」がやってくる
というわけで、ここまでのくだりで指折り数えてみると、私のギターは全部で10本ということになります。
こうなると、冒頭でも書いたようにもとギターおじさんの家での立場は悪くなりそうなものですが、そこらへん、我が家の奥様はかなり寛容なお方です。
ありがたいことです。
しかも今度はその奥様がらみの御縁でどえらい憧れのギター「Martin D-76」を手に入れることになったのです。
というわけで、その顛末とギターの解説は次回に書きます。
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