お早うございます。早起きディレクターです。
ここ数日、散歩以外はほとんど外出もせず、自宅でネットと読書を中心な生活を送っていたら、いつのまにか気分が鬱屈していたらしく、ココロがちょっとやばい方向に向かっていました。
「こりゃいかん!」と、昨日は久し振りに山(金剛山)に登ってきたら、「あっ!」という間に回復しました。
自分は恥ずかしいくらい単純な人間ですが、やっぱり自然はあなどれません。
登山道に一歩踏み込んで森の空気の匂いをかぎ、水音に耳を澄ませ、木々が乱雑に入り混じった風景を見ているだけで、いつのまにかガチガチに固まっていた何かが、じんわりと溶けてほぐれていくのが実感できました。
都会人、ましてや自分はかつてテレビディレクターとして、しょっちゅう「自然」や「人々」と交流することを生業としていた人間ですからなおさら自然が恋しい。
当時はわかっていませんでしたが「自然」が身近にあることが自然だったのです。
「自然」はとめどもなく広がっていくもの?
「自然」といえばいきなりですが、ここで「エントロピー」という言葉を出させていただきます。
ご同輩の賢い皆様ならばすでにご存知かもしれませんが、自分は恥ずかしながらその名前は知っていても、長らくその意味は知りませんでした。
で、最近ある方の解説で「なるほど!」と合点がいきました。
「エントロピー」とは簡単にいうと「無秩序な状態の度合い(=乱雑さ)」を定量的に表す概念です。
例えば「子ども部屋は放っておくと自然と散らかる」
だから「母親は掃除をして部屋を片付けようとする」
この場合、乱雑になった部屋が「エントロピーの高い状態」
整理された部屋が「エントロピーの低い状態」というそうです。
このように「宇宙にある物事は、すべて放っておいたら勝手に広がっていく法則をもっている」
のだそうです。
ここからは僕の解釈ですが、
「だんだんと雑然としていくことが自然な動き」だからこそ「水は低きに流れ、森の木は上へ上へ広がろうとする」
それらが宇宙の法則であるからこそ、われわれはそんな自然な状態に接すると心が安定する。
もしかしたらそれは「エントロピー」本来の意味とは少し違うかもしれませんが、自分はそういうふうに考えて納得しました。
もちろん部屋は片付いている方がいいですが、人間はすぐに規則やルールを決めてものごとを管理しようとしたがる。
でも、それが極端になるといつしかガチガチの世の中になり、人は心を病んでしまう。
ルールは必要ですが極端なのは考えものです。
今朝の散歩で驚いたこと
ちなみに今朝も街を散歩していて非常に驚いたことがありました。
わが家の周辺には有名な進学高校があるのですが、今朝はちょっと遅めに家を出たせいか、学生たちの通学の時間と重なってしまいました。
駅のそばで何気なく彼らの通学風景を眺めていたのですが、なんと「歩く道の順序がきっちり決められている!」様子なのです。
(学校に問い合わせていませんから、それがルールなのかどうかはわかりません)
しかし、駅から学校までの道のあちこちには、高校の先生らしき大人達が旗を持って生徒を見守り(監視?)しながら、「はい、こっち歩いて!はい、今、道路を渡って!!」などと学生たちを誘導。
それにおとなしく素直に従う学生たち。
「小学生か!」
思わず心のなかでつっこんでいました。
ちなみにその高校はわが母校でもあります。
自分らの時代には、学生たちは最寄り駅を出たら自分の好きな道を思い思い、勝手にバラバラに歩いて学校に到着していたものです。
もちろんそれには通学中の交通トラブルを避ける目的や他の通行人や、街への忖度の意味もあるのかもしれませんが、整然と歩く高校生たちを見ているとちょっと考えこんでしまいました。「軍隊か!」
いまや我が母校もエントロピーはかなり低くなっているみたいです。
後輩たちよ、どうか好き勝手に雲みたいに自由に生きてください。
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