ラジオの温もりとテレビの温もり

2020-12-12

TVディレクターの仕事 ちちんぷいぷい とびだせ!えほん

t f B! P L
僕の制作現場の原点は「ラジオ」です。
今から37年前の1983年。
僕は大学を留年しながら、大阪市西梅田の桜橋にあったラジオ局でアシスタントのアルバイトをしていました。
早朝のワイド番組でリスナーからのハガキを選んだり、レコードの準備や曲の頭出しをするのが主な仕事だったんですが、それ以外にも生放送中にかかってくる電話の応対もしていました。



受話器の向こうの温もり


ラジオ番組というのはその親密性のゆえか、贔屓にしてくれる”お得意さんリスナー”が一定数います。
たいていはそこそこ高齢で、家で家事や仕事をしながら聞いてくれている人が多い。
そして体の不自由な人も多かった。

そんな人とは電話でリクエスト曲の話だけでなくいろんな愚痴を聞いたり、逆にこちらの悩みを聞いてもらったり・・・時には受話器の向こうで涙ぐんでいる人もいました。
毎朝そんな人と話をしていると、いつのまにか昔からの知り合いみたいな気分になってくるもんです。
中には僕の就職のことを真剣に心配してくれるおばちゃんもいました。
誕生日にわざわざ祝電でリクエストをおくってくれるおばあちゃんもいました。
それに答えて生放送中にギター片手で”赤っ恥の「昴」を歌わされたのも今ではいい思い出です。
いちども出会ったことはなかった人々なんですが、温もりは受話器から伝わってきました。

1985年 テレビ業界へ


2年後に就職したTVプロダクションでの仕事場ではそんな温もりを感じることはなくなっていました。
テレビ用の広いスタジオは妙にぴりぴり緊張していて、執拗に同じリハーサルを繰り返すテレビの手法をいつも不思議に感じていました。
少しでも予定と違ったことをすると照明やカメラマンに叱られる。
ラジオ時代からの顔なじみの出演者でもテレビ局で出会うと変に緊張してしまい、どこか遠くに感じる。
いつもラジオブースのアットホームな空間を懐かしがっていました。
そしていつか気がついたら自分が視聴者を遠くに感じるようになっていました。




テレビの温もり、新しい時代の温もり

1990年。
この仕事の醍醐味を本格的に感じたのは関西テレビ担当した「ふるさとZIP探偵団」です。市井の人々とのふれあいが心から楽しかった。
そして1999年にスタートした「ちちんぷいぷい」という番組では、いままで自分がテレビで味わったことのない独自の体温を感じました。
それはMBS独特のラジオ放送を体験しているディレクターが多いからという理由もあるでしょうが、やはり角淳一さんという「オンリーワン」唯一無二の正直で率直なパーソナリティーの存在が大きかったのでしょう。

時が過ぎ2020年にはじまった「おうちで一緒に絵を描こう」ではメールを通して視聴者をさらに近くに感じられるようになりました。
それは皮肉にも「三密を避ける」という不安定な世の中ではじまった企画です。
でも頂いたメールやTwitterにはあの頃のハガキと同じようなにおいと温もりがありました。

「テレビにも独特の温もりがあります」

その言葉を駆け出しの頃の自分に教えてあげたい。
そう思えただけでも35年間仕事を続けた甲斐があります。



 




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