お早うございます。早起きディレクターです。
5月下旬に眼科医院で緑内障の手術(右目)を受け、術後の安全のために別の大きな病院に入院していました。
とはいえ自分の場合は右目以外には特に悪いところもなく元気なわけですから、かなり時間を持て余してしまいます。
でも雑誌や小さなスマホなどで文字を追いかけていると目が疲れるし、じっと天井をながめているとどこかから「@@してください」と小さな声が聞こえてくるからけっこう気になる。
仕方がないので病室のテレビをつけてなんとなく画面を眺めていたのですが、久しぶりに見るテレビの世界はなかなか馴染むのに時間がかかります。
7月の東京都知事選に関して、小池都知事がいかに東京の知事にふさわしいのかを力説している政治評論家。
(→チャンネル変える)
芸能コーナーでは皇室関係の動向を解説しながらも一生懸命に秋篠宮家の次女を揶揄?(非難?)しているアナウンサー。
(→またチャンネル変える)
維新びいきの芸人さんによる「大阪万博」は楽しいぞ!キャンペーン。
(→ぼーっと霞む画面から流れてくる幾多の会話をじっと聞いていましたが、しばらくして
静かにリモコンの電源を消しました)
この世にあふれる小さな声
たいていの職業のプロたちはそれぞれの現場で多くの経験を積んだ末にその職業独特の専門性や感を備えるようになります。
たとえばベテラン漁師さんは風の向きや雲の流れで天気の行方や獲物の位置はつかめるだろうし、腕の良い料理人ならば一目で魚の良し悪しを見分けます。
自分もかつては映像制作の現場にそれなりに携わっていましたから、テレビ画面から漂う空気や構成などで”その番組の事情や性質”などはそれなりにわかるつもりです。
いまやテレビはスポンサーの意向にさからえない商品なわけですが、それでもテレビ関係者のすべてがそんな出来合い番組に甘んじていたいわけではないことも知っています。
いつだって静かに抗っている人たちはいます。
というわけでテレビも活字もない病院での1日はとても長く退屈で時に不気味なものでした。
(→妙な声もあいかわらずなりやみません)
そしてようやく空が明るくなってきた翌朝の4時頃。
うつらうつらしながらお茶を汲むために給湯室まで向かう途中、ある部屋からかすかに声がしたので振り返ると、半分扉が空いた個室の奥のベッドでひとりの高齢の男性が小声で確かにつぶやいていました。
「助けてください」
でも、すぐそばのナースステーションにいる看護師さんたちはとくに気にする風もなく黙々と自分達の仕事を続けています。
「聞こえているけど、いつものことで慣れているから放ってるのだろうか?」
僕はわけがわからず、自分部屋に戻って熱いお茶を飲みながら考えました。
もしかしたらテレビも病院も政治もありとあらゆる世界は小さな助けの声で満ちているのかもしれない。
でもそんなことに慣れっこになった人たちは小さな声に耳をかすこともしない。
自分だってそんな慣れっこになってしまった者の一人だったのかもしれない。
でも、あのお爺さんはいつからどんな気持ちで助けを呼んでいたんでしょうか。
気になって仕方がありません。
さて、それから1週間後の今日、再び目の再手術をすることになりました。
正直うんざりな気持ちですが、耳と目だけは大事にしなくてはなりません。
みなさまもお体はお大事に。
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